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日本基督教団九州教区のブログ

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「日本伝道150年記念行事」に対する九州教区の見解

「日本伝道150年記念行事」に対する九州教区の見解


2008年7月8日
日本基督教団九州教区
総会議長 西畑 望
常置委員会


 九州教区は、日本基督教団が第35総会期第3回常議員会において、2009年に「日本伝道150年記念行事を開催する件」を可決し、「日本伝道150年記念行事準備委員会」を設置して準備をすすめている「日本伝道150年記念行事」を容認できない。以下に、九州教区の立場と記念行事の問題点を記し、批判的見解を表明する。

 九州教区は、第48回教区総会(1998年)において、「沖縄教区(沖縄キリスト教団)に謝罪し、沖縄教区の提案した教団名称変更議案を支持する件」を決議した。この時の謝罪の言葉は次の通りである。

 「九州教区は、1941年の日本基督教団成立によって日本基督教団九州教区沖縄支教区に属することとなった沖縄の諸教会を、敗戦後、何の痛みも感ずることないまま抹消した歴史的事実を思い起し、沖縄教区(沖縄キリスト教団)に対し、心からの謝罪を表明する。」

 また、「提案理由」に、「沖縄支教区抹消に関わる記載が、教団の記録にも教区の記録にも皆無であることを考えるとき、九州教区をはじめ日本基督教団の教会が、沖縄の教会が負わされた痛みに対し、あまりにも無感覚であったことを認めざるを得ません。このことは同時に、九州教区も問題をかかえて成立した日本基督教団の体質そのままに、国情の変化に追随して教会的判断を誤った証左でもあります」と記し、この件を説明した。

 さらに、第54回九州教区総会(2004年)は、第33回日本基督教団総会(2002年)において、「合同のとらえ直しに関連する諸議案」が「審議未了廃案」となり、その後、沖縄教区が「しばらく日本基督教団との関わりに距離をおこう」と決断したことに対して、「沖縄教区と共なる合同教会としての日本基督教団の形成に改めて力を注ぐ九州教区の決意声明」を決議し、「沖縄教区に大きな痛みと失意を与え、深刻な合同教会の危機を招いてしまった責任」を表明した。またこの中で、「九州教区はこの合同教会の危機に際して、改めて『合同のとらえ直し』関連の諸問題の解決と克服に向けて論議を喚起し、九州教区内において、また沖縄教区と九州教区との関係において、そして日本基督教団全体の教会性においても、合同教会の内実を追い求め、作り出していくことを決意する」と表明している。

 現在、日本基督教団は、2009年に「日本伝道150年記念行事」を開催しようとしているが、それは、1859年に、長崎・神奈川・箱館(函館)の3港で貿易がはじまり、それと共に、アメリカ、オランダから続々と来日したプロテスタントの宣教師が、長崎、神奈川で伝道開始したことを日本プロテスタント伝道の起点としてのことである。

 けれども、1846年に「英国海軍琉球伝道会」から派遣された宣教師のベッテルハイムが沖縄島に上陸し、那覇を中心に宣教を開始し、約8年間伝道活動をした。そのため、沖縄教区は、1993年にまとめた「沖縄キリスト教団成立の沿革」において、1846年を沖縄(琉球)におけるプロテスタント伝道の起点としている。この事柄も含めて、「合同のとらえ直し」の論議において、「日本基督教団成立の沿革」の加筆修正が大切な課題とされている。その課題は、「合同教会の内実を追い求め、作り出して行く」姿勢をもっていない、現在の教団によって放置され続けている。

 『教団新報』第4644号(2008年2月9日)によれば、2009年を「日本伝道150年」として記念することについての「日本伝道150年記念行事準備委員会」の見解は、以下の通りである。
①「日本基督教団成立の沿革」において、一八五九年を、わが国における福音主義キリスト教の伝道開始年としている。
②それ以前のベッテルハイムの沖縄伝道を「日本伝道開始」とすべきではないかとの意見があるが、その時点では沖縄は琉球であって日本国の一部ではなかった。
③日本の諸教会が一八五九年を起点として宣教五〇年、百年を祝ってきた歴史を踏まえる必要がある。
④五〇年、百年の時点で「宣教」が用いられていたのは、外国ミッションからの宣教師たちの働きを覚えてのことだったと思われる。現在は日本人による自立伝道の時代であることを踏まえ、日本「伝道」一五〇年とすることが相応しい。

 これらの見解は、1609年の島津・薩摩の琉球弧侵略、明治政府の「琉球処分」(1879年)、アジア・太平洋戦争において「本土」防衛の捨て石とされたとも言われる沖縄戦、日本の敗戦後の米軍支配、「日本復帰」後も軍事基地との共存状態に置かれているといった琉球弧・沖縄の苦難の歴史の積み重ね、またそうした事柄に、教会としての務めをはたす事のできてこなかった教団の罪責を踏まえていない。

 「沖縄は琉球であって、日本国の一部ではなかった」とし、沖縄における伝道の歴史を切り捨て、沖縄教区の「距離をおく」というあり方を放置し続けながら、「日本伝道150年記念行事」を実施することは容認できない。ベッテルハイムが沖縄島で活動した時代、琉球王国は薩摩藩の実質的支配を受け、徳川幕府のキリスト教禁制下にあったことも認識しなければならない。九州教区は、むしろ、2009年を島津・薩摩の琉球弧侵略から400年として受け止め、「改めて『合同のとらえ直し』関連の諸問題の解決と克服に向けて論議を喚起し、九州教区内において、また沖縄教区と九州教区との関係において、そして日本基督教団全体の教会性においても、合同教会の内実を追い求め、作り出していく」ための取り組みを実施したい。

 委員会見解④の「現在は日本人による自立伝道の時代である」という認識も大きな問題である。日本は、決して単一の民族・単一文化の社会ではない。長く切り捨てられ、抑圧されてきた琉球弧の「ウチナンチュウ」「シマンチュウ」のみならず、「在日」を生きる人々、先住民族アイヌ民族、移住外国人など、日本社会において「少数者」とされている人々を多く含んだ多民族・多文化の社会である。その中で教会は、「少数者」のいのち、その尊厳を大切にし、共に歩む群れとなり、共に伝道・宣教を担うことが求められている。「現在は日本人による自立伝道の時代」という認識は、「少数者」を「不在者」としている。このことにより、教団の差別体質を如実に表してしまっているのではないか。

 以上、九州教区は、自らの歴史における罪責を見つめつつ、共に、合同教会としての課題を担うために、「日本伝道150年記念行事」に対する批判的見解を明らかにする。
日本基督教団常議員会、「日本伝道150年記念行事準備委員会」は、上記の観点から、この記念行事そのもの、あるいはその取り組みのあり方を再考するよう、強く要望する。
by qkyoku | 2008-07-08 11:34 | 声明・抗議
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